生きる・動く・楽しい(子猫の動きに想う)
“体の裡”感ずるままに
- 2015.10.6
最近、隣の家で生まれた子猫が三匹そろって、我が家の駐車場(昔、盆栽置き場にしていた)の上で遊んでいる。
それは、まるで取っ組み合いで、中にはジャブを出したり・猫パンチで叩いたり・噛みつくこともあり・逃げ回ったり・追っかけたりそれはもう一時も休みがない。
それはもう、”楽しくて・楽しくて、嬉しくて・嬉しくてたまらない”という感じである。
”生命の躍動”を感じられる。
昨日、道路で3歳と5歳ぐらいの女の子の姉妹が家の前の道路で遊んでいた。お姉さんが妹の走るのを手助けしているように見えた。
そこへ、お父さんが出て来て、”危ないから家に入りなさい”という。・・・・・・少し沈黙が。
お姉さんが言った。”大丈夫だもん”
お父さんが言う。”おまえはいいが、妹が転ぶ・危ないよ””車も来る”と。
”私がいるから大丈夫だもん”と、お姉さんがいった。
”危ないから駄目”と、お父さん。
それを聞いたところで、私は通りすぎました。
ちなみに、三匹の子猫は、隣の家で生まれたばかりの野良猫ですが。
”何とも逞しく・愛らしく”生きもの本質は,斯くあるべきもの、かと。
”生きることが楽しい・動くことが楽しい”と、動きのなかに、生を満喫しているように感じられました。
組織工学 糸川英夫博士の先見の明
“体の裡”感ずるままに
- 2015.6.2
日本列島,至る所で火山の噴火があったり、地震があったり、しかも今までの地震とは異なって震源の深さが深いところで起こり、今の技術ではキャッチするシステムが正確に作動することが難しいようです。
昔、興味を持って組織工学の糸川英夫博士の本が出る度に購入し、読んでいました。
ふと、書棚から手に取ってみると、今の世界経済の不況(1995年)は、”多原因同時発生が特性である”と述べられていました。
現在の世界経済の不況を言い当てられている様に感じられました。
また同時に、自然災害の発生も”多原因同時発生”の特性が顕著に至る所で発生してきている様に感じられます。
人間の身体を観ていくときも同じ特性を感じています。
今、糸川英夫博士が健在だったら何を想い、何を発信し、何を研究し、人類生存の為にどう活躍されるのだろうか。
10冊ほどある本を夢中になって読み返しています。
桜の花びらの"土づくり"
“体の裡”感ずるままに
- 2015.5.2
毎日駅に向かう途中にある桜の公園は、何か重要なことを気付かせてくれる。
今年は特に満開になった後の推移が気になって、少しづつ葉桜になりそのコンビネーションを楽しんだり、夜帰るときの街灯越しの薄明かりに映える夜桜を楽しんでいました。
花びらが散って公園の中の土がピンク色に染まって、ピンクのジュータンを敷いたようになっていました。
雨によって、花びらのエキスが土の中に沁み込んで、今は土の色が何とも言えない豊穣な色合いになってきています。
40年以上、毎日のようにこの公園の脇を通っていたのですが、
このような自然の土づくりが行われていたのを見落としていました。
そして、毎年綺麗な花を咲かせて、鳥たちや虫たち、そして生きている者すべてに楽しみを与えてくれていたことに気付かされました。
生きているということは、一時も休みなく変化し続けていることを。
しょうが湯(おもてなしの作法)
“体の裡”感ずるままに
- 2015.4.7
先月、毎年恒例の京都セミナーに行ってきました。
セミナーの充実した余韻が残っている中、新幹線の時間が少しあったのでコーヒーでも飲みたいと思い,駅中のお店に入ってみました。
メニューを見ましたら京都ならではの品々が載っていましたので”しょうが湯”を頼んでみました。
どういう”味なのだろうか”と興味深々に待っていましたところ、しょうが湯に付いてきた品がありました。
小さなお皿に”黒い・小さな豆が3粒”
しょうが湯の茶碗に寄り沿う様に出されてきました。
先ず、しょうが湯を一口飲んで、小さな黒い豆を一粒、手に取って食べてみましたら、これが何とも言えない味わいを醸し出しているのです。硬い豆を噛みこむと、口の中にパーッと拡がり、ちょっと温めのしょうが湯とマッチングしてくるのです。
何しろ、3粒しかないので一粒、一粒、名残り惜しい気持ちをもって、戴きました。
古都、京都ならではの作法の中に、伝統の”おもてなし”を垣間見ることができました。
”日本の文化”でもある”おもてなし”は”ことば”で引き継がれるものではなく、”作法の中に”あるいは、”心”を伝えているものだとしみじみと感じさせられた一瞬でした。
新幹線に乗ったら、”唾液”が程よく出て来て、味わいのある品を戴いた余韻を残こして、幸せな気持ちと共に、帰路に就きました。
食べない(我慢できる)・食べられない(我慢できない)
“体の裡”感ずるままに
- 2015.2.6
先日、甘いお菓子を食べた途端に歯が痛くなってしまった。少し前から歯が浮くような、痛みそうな異常感を抱えていましたが。
甘いお菓子を口にしたことをきっかけに、歯がズキーン、ズキーンと痛くなってしまい、食べることがままならなくなってしまいました。
食べられないとなると、何か無性に口の中に入れたくなったり、頭の中が食べ物のことで一杯になってしまい、思考が停止してしまうような感じになってしまいました。
こんなはずはない、”食べなきゃいいんだろう”と”たいしたことないじゃないか”と理性では思ってはみたものの、意に反して食べ物のことばかり思い浮かんでは消え、が続いてしまう。
早速次の日に歯医者へ行ってみた。昔お世話になっていた歯医者さんなのですが、カルテを見て”9年ぶりですね”と言われてしまった。20年来病院とは縁がなく、歯医者さんにも9年ぶりとは自分でも驚いてしまいました。
病院には縁がない生活をしていましたが、歯医者さんだけは別と思っていましたが、別に我慢やズボラを決め込んでいたわけでは無かったのに。整体であるということの有難さを身に染みた瞬間でした。
”硬いものは治療したところで噛まないように”と注意を受けてきましたが、これで”食べられる”と思った瞬間、
食べ物のことが頭の中から消えて、明日の患者さんのことが頭の中に浮かんできました。
"いのちの身だしなみ"
“体の裡”感ずるままに
- 2014.9.27
朝起きますと、無意識のうちに誰もが顔を洗い・歯を磨き・身支度を整えて一日のスタートが始まります。
今日どのような出会いがあり、どのような展開になっていくのか、ハッキリとした予測が出来ないのが楽しみでもあります。
そのためには、外観を調え、会う人に好印象を持ってもらえることは、人と人との“和・輪”が拡がる、人生の楽しみでもあります。
整体を学び始めてから16年目、ふと、何か欠けているのではないかと感じるようになってきました。
姿勢や外観だけでなく何か忘れているものがある。
姿勢や外観を醸し出している裡にある何か・・・・・・・“いのち”
“いのち”は観ることや手に触れたり、掴むことは出来ないが、生きている限り確かに存在している。
人間は柔らかく温かく生れて、硬く冷たくなって最期を迎える。
生きるるためのシステムは、どれ一つ欠けても問題ではありますが、そのなかでも脳と身体を繋いでいる脊柱の働きは生命を支えていくための源となっています。
死んだ人の背骨は“硬く・冷たい”・・・・・・・・・・・・
加齢により、背骨はだんだん硬くなり動きがなくなってくる・・・・・・・・・・・・
背骨に動きがあることが命を繋ぐための最重要課題であると考えています。
故に、“背骨を調える”ことが、一日の最初に行うべき“身だしなみ”であると、今、私自身が実践し、また、ご縁を頂きまして私の整体指導室をご活用して頂いています皆様にお勧めしております。
生活習慣の中に “いのちの身だしなみ”を。
夏の猛暑から猛威へ
“体の裡”感ずるままに
- 2014.8.7
昨年までは、”夏の猛暑”と呼ばれていたが、今年は”夏の猛威”と呼ばれ始めた。人間の生活空間が猛烈な勢いで変化している。
南の方では、最大級の台風が発生し、各地での猛暑はもとより、豪雨や雷雨が集中的に襲ってくる。
人間が最先端の技術を駆使して計画し、万全の対策を立ててきた文明の力をあざ笑うがごとくなすすべもなく破壊されてきている。
自然が生み出す力には想定外のことばかりが起こってきている。
何か、大切なことを自然界は教えてくれているのではないだろうか?
自然の変化に、何かをもって立ち向かうのではなく、自然との共生の立場にたって思考を重ねていかなければならない事を。
人間の身体を考えても、住んでいる空間(環境)が大きく変化して来ている。身体も左右されないはずがない。
頭で考えた最先端の技術や薬によって,生命を守っていこうとすることの限界を考えずにはいられない。
この最先端の思考や技術を”解剖学や部分・分析的からではなく、人間の生きている力・生きる力そのものを捉えて生命を全うするための方策があるのではないか”と思わずにはいられない。
毎日起こっているニュースの一つ一つが、心痛むものばかりで、人間の心にも大きなダメージを与え続けていて、大海原を漂流しているように感じられる。
私が学んでいる井本整体の”生きている力・生きる力”を最大限に発揮するための取り組みが、大きな可能性を秘めているものと感じている。
鶯がやってきた
“体の裡”感ずるままに
- 2014.7.5
今年になってから、一度も鶯の鳴き声を聞いていなかった。
友人とお茶を飲みながら、”鶯の鳴き声” 聞いたことある?と、話題になった。
誰もが聞いていない、そういえばどうしたのだろうか?
やはり急激に変化してきた、この環境では、小鳥たちも生きにくいのでは。
そんな話をしていた翌朝のこと、鶯の鳴き声が聞こえてきた。
家の中で、体操をしている時に”ホーホケキョー、ホーホケキョー”と、力強い鳴き声が聞こえてきた。
早朝5時半頃のことだった。10分ぐらいでどこかに行ってしまったが。
地球空間の中で何か通じたのかと、嬉しいひと時であった。
慣れていない厳しい環境の中で、元気で”生”を謳歌するように願うばかりである。
環境の激変の中でも "植物の生きる力"
“体の裡”感ずるままに
- 2014.6.30
日本人の”心と体”が馴染み親しんできた”梅雨”はどこへ行ったのだろうか?
夏のような暑い日が来たり、昨日みたいに雷と共に集中豪雨が処を選ばずに、短時間に襲い掛かる。
同時に都市機能があっという間に麻痺してしまう。ゲリラのようである。
それにしても、植物は立派なものだ。
我が家の紫陽花は、このような悪天候にもかかわらずに、愚痴一つ現さずに何事もなかったように、美しい花を保って咲き誇っている。
操法室にも季節の花として、一輪挿しにて、来て下さる患者さんと共に楽しんでいる。
通常花屋さんで購入した切り花は一週間ももたないで終わってしまうが、この度は二週間以上たった今でも、色彩を変えながら咲き誇っている。
環境の激変の中でも、生きていく力を存分に発揮して、
生を全うしていく姿は力強く、そして美しい。
風邪の効用(その3)
“体の裡”感ずるままに
- 2014.5.27
我々は体に何か症状が出ると、病気だ・・・・・・・・
「何か怖い病気でなければいいのだが」と思ってしまう習性を、子供の頃から刷り込まれてしまっている。
そして、病気に対しては薬を飲むか、病院に行くことが当たり前の生活を送っています。
風邪を引いたり、熱を出したり、下痢をしたり、咳をしたり、クシャミが出たり・・・・・・・・
これらは皆、体の働きなのです。
"悪いものを食べたら、吐いてしまう"
"疲れたら眠たくなる"
"食べれば不要なものは便や小便、汗として排出する"
"子供が生まれれば、お母さんの体は、お乳が出るように準備している”
すべて体に具わっている、体の働き、生きている力と言ってもいいでしょう。
今回、風邪を引いたことに興味を持って客観的に経過をズッと観ていたのですが、そのⅠ、その2でも述べましたように驚くべき「体の働き、生きている体の力」というものを実感できました。
2本の足で立つという、人間の力学的構造は不安定構造物であることは誰でも分ることです。
地球空間の中で、重力を初めとする様々な環境の中でバランスを取り、体の中では生きている機能が連動して生きていることが判ります。
我々は、何かに頼ることではなく、もっともっと生きている力を認識し、活用し、発見し、
「もしも、生きている力が肉体的な疲れや、精神的なもの、年齢的なもの」などで、衰えているならば・・・・・・・・・・・・・・・・・
体の要求に沿った自然な取り組みが必要であり、鈍い体・硬直した体ではなく、弾力のある敏感な体こそが、「生きている力を育み活用出来る仕組み」であることに気付きました。
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